旧・TPPと日本の著作権

いろいろと日々の雑事

震災から3年がたって……

 あと2週間で東日本大震災から丸3年がたとうとしています。

 これまで仕事で月に一度、被災地に行って被災者の方、自治体の首長や職員からいろいろ話を聞いてきており、そんな私がいま復興に関して、思うことをいくつか書き留めておきたいと思います。

 

◆最も早く復旧した場所へ

 まず先月、青森県八戸市に行って来ました。

 これはあまり報道されていない話ですが、太平洋岸に位置する八戸港もあの日、大地震と6mを超える津波が襲来しています。

 しかし地理的な好条件(?)が重なり、八戸市の震災での直接死は死亡1名、行方不明者1名に留まっています。わずか数十キロ南下した場所にある岩手県宮古市が死者420名、行方不明者107名。山田町が死者604名、行方不明者153名だったことを考えると、「奇跡」と言っても差し支えない話です。

 

 上記「条件の違い」とは、海岸線が入り組んだリアス式ではなく直線上であり、港湾部と住宅地や市場が離れていたこと、大型の船舶が出入りするため湾口が広くとってあり、沖合に設置された堤防が機能したこと、大きい河川の河口がふたつあり、そこに波が流入したことで威力が弱まったことなどが上げられます。

 

 ここで注目したいのは、八戸市は太平洋沿岸に位置する被災地のなかでも、最も早くハード面の復旧を達成した場所だ、ということです。

 

 自身も被災地でありながら、八戸市は震災2日後から給水隊や医師団を岩手県宮城県に送り込んでおり、被災者の受け容れや支援物資の搬送にも着手。八戸港の復旧作業も昨年8月には「終了宣言」を出しています。

 

「なぜそんなことが可能だったのですか?」という記者団の質問に、八戸市の小林市長はキッパリと「亡くなった方が少なかったからです」と答えました。

 

 重要な工場や備蓄基地、市場や住宅、道路などがどれほど破壊されても、人的被害が少なければ復旧へのスピードは速くなる。被害確認や捜索に時間をかければかけるほど、復旧・復興に入るための時間は遅れる。

 つまり「防災」とはどこまで言っても「防人」なのだ、ということですね。 

 

◆今後あらゆる被災地が抱える問題

 もう一点、ハード面での復旧を終えた八戸市に行って収穫だったのは、そこが「すべての被災地が今後抱えるであろう問題」を、如実に浮き彫りにしていたことです。

 

 具体的に言うと、津波に襲われた倉庫、住宅、道路、市場は直しました。ではその後、被災地は元通りになるの? という話です。残念ながら答えはノーでした。

 一度避難した人はなかなか被災地には戻ってきません。それまで付き合っていた顧客も離れており、業種にもよりますが、再就職は難しい年齢の方が多い。

 端的に書けば、高齢化、人口減少、景気悪化。

 

 環境省や復興庁は「観光」に活路を見出そうとしていますが、それも軌道に乗っているとは言いがたい現状です(ただ環境省が進めている「みちのく潮風トレイル」http://www.tohoku-trail.go.jp/ は大変いいプランだと思います。2020年にはここを聖火ランナーが走る、という案が国会議員のあいだで出ているそうなので、ぜひ実現してほしいですね)

 

 ではどうすればいいのか。

 残念ながら「これだ」という解決案は見つかっていません。

 

 ひとつ言えるのは、現状「被災地復興」というテーマは非常に多様化しており、一概に「これが足りない」「あれが必要」と言える段階にはないということです。

 衣食住が満足に整っていない仮設住宅にお住まいの方もいる。

 看護学校が被災しており、再建しても学生が少なく、地域的な看護師不足(当然医師も不足)に陥っている場所もある。

 名産であったサザエやウニの漁場が被災し、以前と同じ収穫量が見込めるかどうか分からないなか、漁業に従事する者、復帰する者が減り、漁協そのものが立ちゆかなくなっている場所もある。

 海岸線が丸ごと住めなくなった関係で新たな居住地を開拓しなければならないのに、そこらじゅうが国定公園に指定されていて宅地にできない場所もある。

 

 これからの復興は、地域に合った、年代に合った、復旧の段階に合ったきめ細かな支援が必要になるわけです。

 

 ◆「被災地の問題」とはつまり

 さて、ここまで読んで、もうカンの良い方は気づいているかと思います。

 高齢化、人口減少、景気悪化、そして手当てとしてはきめ細かな支援。

 これらはすべて、被災地だけでなく、これからの日本国全体が直面する問題です。

 

 この数年、被災地にどういう道筋を示し、どういう復興を目指すのか。それはそのまま「日本がこの先、どういう国家を目指すのか」のモデルケースになるはずだと、そう考えております。

 

 

 最後にちょっと宣伝。

 ここ8カ月くらいかけて作っていた『東日本大震災警察官救援記録 あなたへ。』がやっと完成し、2月22日より書店に並んでおります。警察庁と協力して、全国47都道府県から被災地に派遣された警察官たちの、生の手記を入手し、そのうち68編を選んで掲載したものです。

 

 なるべく多くの人に読んでいただきたくて、また多くの人に「身近な警察官も被災地に行ったのだ」ということを知っておいてもらいたくて、47都道府県すべての警察本部から必ず1編以上は掲載しております。

 

 お時間ありましたら、手にとってみてください。

東日本大震災 警察官救援記録 あなたへ。

東日本大震災 警察官救援記録 あなたへ。

 

 

【参考資料】

警察官 殉職者(2013年12月末時点)

死者25名 行方不明者5名

岩手県 9名(行方不明2名)

宮古署1名(1名)、釜石署3名、大船渡署5名(1名)

宮城県 11名(行方不明2名)

気仙沼署1名(1名)、南三陸署1名、河北署2名(1名)、仙台南署1名、岩沼署6名

福島県 4名 (行方不明1名)

南相馬署2名、双葉署2名(1名)

◎管区1名

(警察庁作成資料につけられた注釈/これらの職員のほとんどが、パトカーで住民に避難を呼びかけている間に津波に襲われるなど、公務中に被災しており、最期まで警察職員としての職責を全うしました)

 

警察施設等被害(東北3県)

【県警本部】

 宮城県警本部、福島県警本部(本庁舎、東分庁舎)が被害、現在も福島県警本部東分庁舎が使用不能

【警察署】 

 岩手14署、宮城24署、福島20署・4分庁舎が被害、現在も岩手1署(釜石)、宮城2署(気仙沼、南三陸)が使用不能

【交番・駐在所】

 岩手56カ所、宮城134カ所、福島58カ所が被害、現在も大船渡警察署高田幹部交番を始め、42カ所が使用不能

 

◎警察車両被害71台、船舶3隻、航空機2機 全壊

被災県にはすべての都道府県警察から、のべ人員117万人の職員が特別派遣されています(2013年12月時点)