TPPと保護期間延長でどうなる日本の著作権!? ③
[玉井克哉先生の発表フェイズ(30分間)]
玉井:えー……。皆さんどうでしょう、先ほど私、「横綱と平幕」と言ったことに「こいつは謙遜してるんじゃないか」と思った皆さん、謙遜じゃなかったというのがよくお分かりになったかと思います。
今は「こいつ大丈夫かな」「土俵から逃げるんじゃないの?」と思われているかもしれませんが、いやまあそれは、期待は裏切りません(会場笑)。
ただしかし白鳳だって負けることはあるんですから、そこはやっぱり頑張っていきたいなと思っております。
(写真8)
◆米国がTPPで要求していることの整理
えー、お手元にいくつかスライドを用意したのですが、こういう時はせっかく会場に来ていただいた方用に、ここにないスライドを(サプライズとして)用意しておくものなんですが、あんまりそれをやると福井先生に怒られますから(会場笑)、今日は1枚だけです。
これですね。
なんのことはない、現行法の条文(著作権法51条)です。
ここの「50年を経過するまでの間」を(米国はTPPを通じて)「70年にせよ」と言ってきているんじゃないか、というのが福井先生、そして多くの人の懸念だと、そういう話ですね。
ちなみにお隣の韓国が結んだ米韓FTA、これ「KorUS(コーラス)」と呼んでおりますけれど、その条文には「死後70年」というのが明記されております。で、これはあの、2012年、去年にできましたので、来年くらいには効力を発揮する。それまでに(韓国の)国内法を整備する、ということになっています。
(写真9)
で、こういう条文が(TPP知財条項に)入るんじゃないかということが懸念されている。
懸念されているというかですね、こういうことをUSTR(米国通商代表部)が要求しているのはほとんど確実です。
先ほど福井先生がおっしゃった「流出」という、2011年2月のリーク条文っていうのは実は不正確で、私が同じ年の11月にUSTRに理由というか内容を聞きにいったんですが、日本交渉担当あるいは知的財産権担当の交渉官ともお話をしましたが、リーク情報のいくつかは、「いや我々はそこまで考えていない」と言っていた。
リーク情報がもともと不正確だったのか、あるいは2月から11月までのあいだに向こうが要求内容をいくつか引っ込めたのかは分かりませんが、11月の時点では条文の内容が変わっていた。
ただ「では著作権の70年はどうですか?」と聞いたら、「そりゃあ絶対に譲れない条項だ」と言ってましたから、それはほとんど確実で、それから今まで態度を変えたという話もまったくありませんから、まあ確実だろうと思います。
これがお話の前提ですね。
私の基本的な立場はですね、えー、「国内法で議論する」と。
その時に、あれは5年前くらいですかね、福井先生と一緒に、「think-c」という団体をですね、まあ著作権を盛り上げようと。いろいろと、福井先生が中心となって、私もその端っこのほうに居たわけです。
で、あの時のように、著作権の動きが純粋に国内法の問題であれば、「死後50年」でいいんじゃないか。まあ「延長しない」という考えが第一選択肢としてあっていいと思うんです。
そういう意味で、福井先生のお立場というのは大変理解できる、と思っております。
と、このままだと「おいおいあいつやっぱり土俵から逃げちゃったよ」という話になっちゃうんですが、大丈夫です。ご安心ください、このあとなんとか20分くらいはお話できます。
◆「包括的通商交渉」というものの意義
私の基本的な疑問はですね、今やってるのはTPPという、包括的通商交渉の一環なわけです。その一環として著作権の延長問題がある。ということは、この著作権の問題の性格というのはまったく変わったんじゃないか、というところにあります。
そして、その包括的通商交渉のなかで、著作権の延長問題というのは、実は交渉全体を左右するような重要な問題じゃないんじゃないか。
もしそれほど重要な問題でないのであれば、「我が国としてはそれは大変重要な問題ですよ、国内法を改正しなくちゃなりません」、「ウチの国会を説得するのはえらいことです」、あるいは「著作権についてはうるさくて反対する弁護士がいて、彼らを説得するのは本当に大変なんです」と言っておいて、それを取引材料にして、ほかの、交渉全体を左右するような条項を取ればいいんじゃないか。
簡単にいえば「それを交渉材料にすればいいじゃないか」というのが、私の基本的な疑問、なわけです。
で、そういう趣旨でこれからの話をさせていただきたいと思います。
◆保護期間を延長すると出て来る問題点は「問題」ではない?
著作権の延長については、大きく分けて問題が4つほどある、と福井先生はいろんなところでおっしゃっております。
これ順番は先ほどの福井先生の発表の順序とはちょっと違うかもしれませんが、内容としては、
◎著作者の収入はそれほど増えない
◎貿易赤字が増加する
◎孤児著作物が増える
◎二次創作が出来なくなる
こういうような懸念を持たれているわけですよね。
これらについて、ちょっと順序を変えながらお話をしていき、私の考えを述べさせていきたいと思います。
まず「巨額な対米貿易赤字がある」という話ですが、確かに日銀統計というレポートで「著作権関連貿易」というのを洗いますと、2012年の暦年でだいたい我が国は5800億円くらいの赤字になっております。先ほどの福井先生の発表と多少数字が違っておりますが、日銀統計というのは月ごとに出ておりまして、暦年2012年を統計で見ると、まあこの数字になります。
で、そのうち対米っていうのは3300億円くらいですね。
先ほど(福井先生は)「大半」とおっしゃいましたが、まあ大半ではないかなと。ただしかし3300億円といのは確かにかなりな巨額であるとは思います。
ただ問題は、我が国は著作物による対米貿易赤字は解消するというのはまったく出来ないので、そこに著作権保護期間の延長問題っていうのは関係あるのかな、という話があります。
というのは、実はですね、この3300億円の赤字のうち約9割はWindowsだとかOfficeだとか、ビジネスソフトが大半なんですよね。
で、例えば私がWindowsを使い始めたのは1995年です。Windows95。でもこの先Windowsを50年以上使い続ける人っていうのは居ないだろうと思うわけです。Officeについても同様です。
ですから著作権延長問題に関して、対米貿易赤字の増大に影響があるかというと、私はまったくないのではないかと思ってしまうわけです。
少なくとも50年が70年になったことで、倍にはならないだろう、増えたとしても微々たるものではないかと。
(写真10)
ちなみに私はJASRAC、日本音楽著作権協会の理事もやっておりますけれど、そこでJASRACの人に「ウチは洋楽の著作権管理もしているけど、これ著作権保護期間が70年になったら、収入って増えるの?」と聞いてみたら、「いや計算したことありませんが、ほとんど計算できないくらい小さい額じゃないですか」と言っておりました。
あ、これは言っておきますが、私JASRACの理事をしていますが、あくまでも「国内法で50年を70年にする」というのは反対しておりますから、その点ではJASRACとは立場がまったく違います。今日も「JASRACの理事がしゃべっている」というよりも「玉井というひとりの学者がしゃべっている」と考えていただけると幸いです。
◆個々の品目で赤字が増えることは問題なのか?
それから、もっと根本的な、そもそも論としてですね、包括的交渉論というのは、個々の品目で赤字が増えるとしても、別の品目で黒字が増える。あるいは全体として赤字は増えるかもしれないけれど、経済がよく回って交流が進んだり、景気自体がよくなると、つまり「国益」を目指して交渉を進めるものであります。
つまり著作権の対米赤字3300億円という数字は増えるかもしれないけれど、そういう個々の品目で目くじらを立てるよりも、妥結した時に全体を見て交渉の評価をすべきであって、個々の品目で赤字だ黒字だと評価をすることが、そもそもおかしいのではないか、と思うわけです。
たとえばTPPの原加盟国であるブルネイとのあいだでは、我が国は約4700億円の赤字を出しております。これはTPPが妥結されるとまず間違いなくこの赤字は増えます。この赤字はほとんどがLNG(液化天然ガス)ですから。
TPPによってブルネイからのLNGの輸入が容易になれば、対ブルネイの貿易赤字は間違いなく増える。これを指して「ブルネイは日本への巨額の黒字を増やそうとしている。けしからん話だ」という話にはならないわけです。
これと同じ話でして、米国に著作権で貿易赤字が増えたとしても、それは自動車で取り返せばいいだとか、あるいは「この項目で赤字が増えるのはおかしい」という交渉は、そもそも包括的交渉ですべき話ではないと、私は思うわけであります。
◆「著作者の遺族」にメリットがあるか、「第三者」にメリットがあるか?
次に「(70年になっても)あんまり著作者にメリットがなさそうだ」という話ですね。
えー、著者の死後50年たっていまだに人々から忘れられていない作品というと、だいたい国語の教科書に載っている、漱石の『坊ちゃん』だとか『こゝろ』だとか、鴎外の『高瀬舟』だとか、そういうものでありまして、そういう著者の遺族たちが、著作権が70年に伸びたからといって喜ぶかというと、確かに疑問だと思います。
先ほど申し上げた「think-c」をやっている時に、ある漫画家の方が「いや曾孫の代まで保護されるというのであれば、俺はまだまだすごい作品を描いてみせる」とおっしゃってまして、「いや……ほんまかいな」と思ったわけです。
誰とはいいませんが、貴方の描いた銀河鉄道なんとかというのは、(原著者の死後)50年たつ前に出たんじゃないの? と思ったわけですが(会場爆笑)、いや思っただけです。そういう方もいらっしゃる、いやいらっしゃるけれども、いやまあしかし、まれな優れた作品がここにあったとして、いやー目から鱗が落ちたよと、こんなすごい作品があったのかと人生観が変わったとして、その作品にかけたお金が「著作者の遺族」にいくのがいいのか、あるいは「フリーライドしたまったく関係ない別の人」にいくのがいいのかと、これは簡単には結論が出ない問題であると思います。
「少ない」ということと「ぶった切っていい」ということは別問題だろうと。
もっと重要な論点としてですね、別に遺族が潤わなくてもいいんです。たとえばここに「再来年、著作権がなくなる」という作品があったとします。「このレコードは最高だなあ」と思う楽曲なり小説なりがあったとする。
けれど2年後にはPD(パブリック・ドメイン)になってしまう。
誰でもタダでそれを聴いたり読めたりできるようになってしまう。
そういう状況で、その作品を見つけた人がプロモーションを仕掛けたりするものでしょうか。
「過去の作品を見つけてきて、世の中の人に紹介する」というのは、私は文化的に立派な仕事だと思います。しかし「もうすぐ権利が切れる」という状況では、コストをかけてそれを世に知らしめようとする人が出てきにくい。
つまり「権利」というのは、それが存在していたほうが「それを世の中に知らしめよう」という機会や意思を生む場合もあるわけです。
で、それが出来ない、つまり権利が早く切れるということは、実は「死蔵を進めている」という考え方もできるわけですね。
(写真11)
◆「欠けた地図」でも不要とはいえない?
それで、さっきも出てましたけれども、70年以上というのは31カ国です。で50年というのは日本、カナダ、ニュージーランドが入っていますから、もしTPPで70年になれば、OECD(経済協力開発機構)が全部揃うわけです。
そうなると、これらの国で、例えば私が何か古い作品を見つけたとして、著者の没年がわかれば、そしてそれが70年以上たっていたら、「あ、これは誰でも使っていいんだな」ということがわかる。それ以内だったら「じゃあこれに投資する意味があるんだな」ということで、お金をかけて宣伝しても回収できる、などの考え方ができるわけです。
これが足並みが揃わないと「いやいやあそこは虫食いなんだよね」だとか「あっちは欠けているから出来ないんだよね」というふうになる。
まさにそういう状態をなくすことが、包括的貿易交渉の目的なわけです。足並みを揃えて、ルールを揃えて貿易を活性化させるのが、貿易交渉というものでしょう。
先ほど福井先生の発表で「いやいや米国と欧州だって足並みそろってないじゃないか」というご指摘がありました。さすが専門家です。そのとおりですね。ただしかし、それは「地図が不正確なところがある」という話なんです。
不正確な地図は使わなくていいんでしょうか。六本木一丁目というのは六本木駅から見て北にあるのか南にあるのか、不正確でも地図はあったほうがいいに決まっているわけです。
保護期間の統一でどれくらいメリットがあるのか。これはわかりません。どれだけ流通が活発になるかはわからない。けど「メリットがない」とは言えないんじゃないかと思います。
◆これからは「ネットワークでどう流通させるか」が重要なはず
さて二次著作の話ですね。
現状は、日本は死後50年で、欧米は死後70年ですから、「欧米で利用出来ない著作でも、日本でなら二次利用できる」という著作があることになる。現状はそうですね。これが延長して足並みを揃えてしまうと、この日本だけで利用できるぶんが出来なくなります。それは確かにそのとおりです。
ただしかし、その二次創作物は日本から欧米には輸出は出来ません。
なぜならその二次創作物は原著作物を利用したものですから、原著作物が生きている国に輸出してはいけないことになる。その国では著作権侵害になりますからね。
つまりその二次著作物は輸出できない。鎖国状態になるわけです。
「延長化で二次創作が不自由になる」という議論はつまり、「50年は経過したけど70年は経過していない作品を日本で楽しむ」という自由を得る代わりに、「それを海外に流通させる」という自由な流通をうながすルールの統一を捨てることになるわけです。
これは演劇であるとか音楽であるとかあるいは本になる小説だとかの従来型の著作物の流通を考えてもかなりの問題だと思うのですが、実はこれはネットワーク上でどんどん著作物が流通していかないといけない、という話にならないとおかしいわけです。
もちろんですね、ネットワーク上で著作物がどんどん流通するというのは、これはまだまだいろいろ未解決の問題がたくさんあります。
たとえば我が国で作った作品を、日本のサーバーにアップした時、それを米国や英国や中国でダウンロードしたら、その作品はどのルールに従うべきなのか。あるいはサーバーからサーバーに移動していった場合、最終的なダウンロード地で判断していいのかとか、本当にいろいろな問題があります。
ありますが、少なくとも言えるのは、その流通しているなかでルールが統一していれば、なんとか対処はできる。
そもそも「その作品が著作権の対象の作品なのか」という、ルールの根本的な部分というのは統一していないと、ネットワーク上の著作権流通というのは非常に大変なものになる。
だとすると「なるべくルールは統一したほうがいい」ということになる。
もちろん「あーしまった、アメリカでは一部権利がまだ生きていたよ」だとか、そういうことはあるでしょう。けれど、まずはざっくりとルールを統一させていったほうがいいでしょう。
◆50年から70年になっても二次創作は枯れない
またこれも大事な点ですが、著作権保護期間が50年か70年になったとして、そもそもそれで二次創作の泉が枯れるんでしょうか。先ほど福井先生が挙げてらっしゃった例ですと、どうもそういう例は見あたらなかったように思います。例えば黒澤明の『乱』ですが、あれはシェイクスピア(『リア王』)ですから、50年だ70年だという話ではない。
『銀河鉄道の夜』っていうのも存続期間中にどんどん二次創作が出ていたように思います。
あるいは、そんなに違いが出るというのであれば、例えばスペイン。これはベルヌ条約が出来て以来、19世紀の末からずっと保護期間80年でした。それがEUの統一で70年になったわけですが、ではスペインでは二次創作の泉というのは枯れっぱなしに枯れているのでしょうか。
それはちょっと違うんじゃないかなと思います。
私も個人的に馴染みの深いドイツ。ここも70年にして半世紀近くたちますが、別に二次創作ができなくなって困っているという話は聞きません。
ようするにルールというのは統一されれば、そしてみんながそういうルールだとわかれば、そのなかでやっていくわけです。
◆では「孤児著作物」はどうなのか?
ただですね、これまで挙げられてきたさまざまな問題のなかで、「孤児著作物問題」、これは真の問題だと私は思います。
誰が権利者だかわからない。あるいは権利者は分かっているのにその人がどこにいるのかがわからない。そういう権利処理のできない著作物を「孤児著作物」といいます。
例えば「新聞のデータベースを作りたい」と考えたとする。過去の紙面を全部取り込みたいと考えた時、面倒なことにだいたいの新聞には投書欄というものがあるんですね。
30年前の新聞に「山田太郎(広島)」という投書が載っていたとする。どこの山田太郎だということで捜してみたら、この人は18年前に亡くなっていた。では遺族はどこに居るんだと探しまわって突き止めた。約束を取り付けて会いにいってみたら「へー、ウチのおじいちゃん、そんなことやってたんだ。へー!」といろいろ言われて全然話が進まない。いろいろ話したすえ最後に「そんな面倒くさい話、嫌だよ」と言われてしまうという話があるわけですね。
投書欄の投書というのも社会学的に非常に大きな意味があったりしますが、それ以外にもありとあらゆる場面で著作権というものがあって、その権利処理ができない関係で著作物が死蔵されていく。孤児著作物がどんどんなくなっているわけです。
それはそもそも現行の著作権法の基本がですね、「利用したいやつは、利用する前に許諾をとれ」というふうになっているからです。法制度がそういうものになっているわけですから、そうすると使うためには権利者はどこにいるんだ、捜さなきゃならんと、そういう問題になるわけです。
この問題は特に人が長寿になるに従ってどんどん深刻になっていきます。
男子の平均寿命というのは、1955年には63歳でありました(2012年は80歳)。
この年は自由民主党と社会党が結党した年ということで有名でございますけれど、実は前都知事が『太陽の季節』という小説を発表した年であります。まぁあの方が平均寿命ぐらいで亡くなっておれば、もうちょっと世の中平和だったんじゃないか…と、まあこの場は政治談義をする場所ではありませんから控えますけれど、まあしかしいまだに生きておられて「徴兵制をやる」とかなんだか無茶苦茶なことを言っていて腹立たしい思いをするわけですけれど、まあそういうわけで、平均寿命はどんどん伸びているわけです。
ということなんで、著作権に関していえば、あるところで原則を変えなきゃならないわけです。つまり一定の範囲内でオプト・アウト方式を取らなくてはいけない。
「オプト・アウト方式」というのは、一定の範囲内で、「利用されるということがわかる」と、そういう状況になった時、権利者が「これは利用されるな」ということがわかった段階で「これは勝手に利用しないでくれ」と手を上げる。「使わないでくれ」と宣言する。
そういう宣言があった著作についていえば「(許諾を取らないと)利用してはダメ」ということにしましょう。でも何もなかったとしたら、発表から10年くらいたった作品に対して使ったことについて「おいおい俺の作品を勝手に使うなよ」と、あとから言うのはやめましょう、という制度です。
このオプト・アウト方式というのはどうしても必要で、実はこの10年くらい、一緒にやっている鈴木(雄一・防衛大教授)先生と私の研究テーマのひとつになっております。10年くらい前にこの問題を手がけ始めた時は誰にも相手にされてなかったんですけど、まあどんどんこれが深刻になってきまして、理解されるようになってきました。理解されるのは研究者としてはありがたいのですが、いやまあ深刻です。
(写真12)
重要な事は、「この問題は死後50年でも大変な問題なんだ」ということなんです。この問題はTPPでやるだとか、わが国が包括的通商交渉に参加するとか、そういうこととは関係なく取り組むべき問題だということなんですね。
ですから例えばこのTPPで「孤児著作物を解決してはいけない」だとか、「孤児著作物の解決を妨げるような条項」が入ってきたら、それは絶対に反対しなきゃいけない。しかし、そうゆう条項が入ってくるわけがない。なぜなら孤児著作物問題は、アメリカ自身も大変苦労しているからです。
アメリカ自身が解決困難になるような条項を、合衆国政府が入れてくるはずがない。
では仮に、著作権法期間が70年になったとして、孤児著作物問題の解決が困難になるかというと、私はそう思いません。50年でも大変な問題ですし、 70年になったとして解決が遠ざかるということがあるとは、私は思いません。
ここは孤児著作物問題を研究する場所ではありませんから詳しくは控えますけれども、いずれまた改めて詳しく報告したいと思います。
ただ世界的にいま孤児著作物問題の解決方法として検討されているのは、3とおりくらい方法があります。
ひとつめはGoogleと逆側にあるEUがやっている方式です。
図書館など公的組織による、公益的使用に即した目的を達成するための場合に(オプト・アウト方式で著作物の自由な)利用が認められると。
(ふたつめの)逆側のアプローチとしては、図書館などの公的組織に加えて、民間による権利処理も認めると。この場合は商業利用も可能です。ただし入念な著作権の調査が必要だし、一定の有資格者に任せるという案もある。
実際にEU委員会が指令案として出したのは上記2案の中間で、図書館などの公的組織は公益に即した利用ができるけれど、商業利用のための権利処理を進めなさい、と、そういう指令になった。
(写真13)
各国でいろいろ模索しておりますが、ともかくこの問題は我が国にとっても喫緊の課題でして、TPPがどうのということとは切り離して解決していく問題だろうと思うわけです。
えっと、あと2分半くらいありますね。
最後にいくつか。
ここに「ディズニー涙目」という記事があります。
(写真14)
いやまあ私はディズニーが嫌いなもんで、……あ、私、ディズニーもマイクロソフトもグーグルも嫌いで、このIT時代に生きていけないなぁなんて思っておりますが(会場笑)、「涙目」とあるから、なんだろうと思って見てみると、これ、米国のマリア・パランテ著作権局長が保護期間短縮を提案するんじゃないか、と、そういう報道がありました。
これは先ほどの福井先生の話にもありましたが、マリア・パランテさんの議会報告書を見ますと、やっぱり(日本で)報道された内容とはまったく違いました。
えっと、まず彼女が出したのは、「提言」といえるようなものではありません。問題提起のレベルです。それからUSTRというのは対外交渉の組織で、こういう(米議会向けの内向きの)報告はまったく考慮しませんから、TPPの交渉にはこの報告書は影響しません。
それから「著作権保護期間の短縮」は、この報告書は提唱していません。ベルヌ条約の最低保証である「死後50年」を超える保護を求める人は登録をしろと、そういう法制度を提案しています。(その登録後は)70年だろうと何年だろうと構わない、ということです。
当たり前の話ですが、端的に「短縮する」というのは条約違反です。
アメリカ合衆国が今世紀に入ってからこれまで結んできたすべてのFTA交渉での著作権の条項には、すべて「死後70年(以上)とする」という条文が入っております。先ほどの韓国だけではありません。
(もし「短縮する」という話になると)そのすべての条約を踏みにじることになりますから、そういうことはできません。
マリア・パランテさんが言っているのは、あくまで私が先ほど申し上げた孤児著作物問題への対応策として言っているわけです。
さてそろそろ結論です。
TPPで著作権の保護期間延長という条項が入っても、我が国への影響は死活的な問題ではないし、ほかのもっと重要な部分と比べるとたいした話ではないので、交渉材料にすべきだろうと思うわけです。
それから「短縮こそが今後の趨勢」というのは、ちょっと根拠がない。万一米国がこれまでの条項をすべて踏みにじって「短縮も考えている」と言い出したなら、その時に日本も考えればいいだろうと思うわけです。
(参考文献資料については「あとがき」に記載)